003.五杯の牛、五頭のミルク
「五頭の牛」の「頭」って何?
たとえば日本語から英語への翻訳の場合。
「五頭の牛」を英文に訳す時、この五頭の「頭」にあたる言葉が
英語にはないという問題があります。
(five cows = 五の牛)
クワイン(1)は、日本人が牛を、「ミルクや水」のような感覚でとらえている可能性も
否定できないと考えたそうです。
つまり、「ミルク」のように数えられない物質としての「牛」の「一杯」ならぬ「一頭」分が、「一頭の牛」と。
日本では「牛」も「ミルク」のように「‥頭の」がついてはじめて、数えられる「個体」になる‥。(2)
その後、日本の哲学者が現地人(日本人)としてその考えに「無理」がある事を伝えた所、
クワインは賛成したのだとか。
残念です。ひとりくらいはそんな風に思って一生をすごした、またはすごす、
日本人がいてもいいのにと思ってしまいます。
(1)アメリカの哲学者。20世紀の哲学者のなかで最も影響力のある人物の一人。(wikipedia) 日本人としては「一人」もまた「一頭」と同じく「一杯」的(後述)にとりたいトコロです。
(2)これはクワインが論文「存在論的相対性」の中で「指示の不可測性」(概念を言語で表したものが何を指し示しているかは、言語的なふるまいだけからはひとつに決まらない。)の実例として日本語に言及したものだそうです。出典「クワイン ホーリズムの哲学」 丹治信治
公開日/2017年12月22日