No.3 いい村は女が元気/もののけ姫
冒頭のタタリ神は1160km走ったそうです。
タタラ場のモデルとされる島根県から、アシタカの村のモデルとされる秋田県までだいたい1160km、人間の徒歩で240時間ほど。
巨大な猪神ですから、一週間くらい走り続けたのでしょうか。激しい人間への憎悪が伺えます。
ですが今回はその憎悪の対象、人間もいいとこあるよ!というエッセイを書かせてもらいます。どうぞお付き合いください。
良い作品は見る度に発見がありますが、自分含め生まれた時からジブリ作品が身近にある平成生まれ世代は特にそうなのではないでしょうか。
もののけ姫を初めて観た時は、恐ろしいほど深い森やタタリ神にビビり、結構簡単に死んでいく人間たちに息を飲んでいました。幼いながらに、自然を切り倒す人間の傲慢さには残念な気持ちにもなりました。
それとは別に登場する女性も男性もかっこいいなと憧れていました。尊厳を守りつつ共に生きていくエンディングも好きです。
子供の頃漠然と惹かれていたものに、大人になると理由付けができてきます。組織同士の一筋縄ではいかないパワーバランスも理解できるようになり、作品の奥行きを感じることができます。
ですが、やはりそのストーリーに説得力を持たせているのは絵と音楽の力だなと、原点回帰するのでした。
もののけ姫のどこが好きか言い出したらキリがないのですが、
自分が近々でもののけ姫を観た「一生に一度は、映画館でジブリを。」の期間中は、ちょうど人種問題のニュースが大きく報道されていたので、
今回は差別という視点から鑑賞してみました。
主人公のアシタカは森と共生していく縄文的生活を続けている蝦夷一族出身で、ヒロインのサンも同じように森を尊重した生活をしています。
対してタタラ場のエボシは鉄のために森を焼き太古から住む神々を殺しました。これがいかに許されないかということが再三物語上で描かれています。
アシタカは自分の呪いもあるし、いくら鉄で国が豊かになるからといって、このまま森を破壊し続ける所業を見過ごせなくなります。
ですが、エボシが救った者もあります。タタラ場ではハンセン病患者(業病と描写されている)や売られた女たちは、手に職をつけて差別されないソサエティを作っています。
モロは生贄のサンを救い育てましたが、これほど多くの弱者を救えているのは作中エボシだけです。(もはや社会福祉と言える)
この姿をみて森側に傾いていたアシタカの心も揺れます。
特に印象的だったのは、夜明け前の休戦中、石火矢の調整をしているハンセン病の人物が袖の下に入れた食べ物を、女がもらって食べる短いワンシーンがあります。
ほんの一瞬ですが、見逃すほど当たり前に描かれているのが凄いと思いました。
彼女たちは武器を持って自分の家を守ることも、ハンセン病患者からその手で分けてもらった食料を口にするのもあたり前なのです。
この時代「業病は前世の悪業が因果で発症する」と信じられており、感染者への差別は凄まじいものがあったそうですから、きっと”下界”でも、アシタカの村でもありえない光景でしょう。
この日常を守るために胡散臭い連中の力を借りるしかなく、利用されながらシシ神殺しを決意しているエボシを思うとなんだか泣けてきます。
自分が室町時代に女として生まれたら、自由を奪われて暮らすよりは、タタラ場で元気に生活したいと思う気がします…(体力が要りそうですが。)
以上が最近もののけ姫を観てみて、伊藤の思うところでした。
「一生に一度は、映画館でジブリを。」がきっかけでジブリ作品に触れる子供たちも、こんな風に大人になった時にもう一度映画館でみれたらいいなぁと思います。
サブスクとズブズブの関係の自分ですが、やはり映画館でみる映画は体験として残りますし、シネコンのような映画観賞スタイルが復活したら楽しいなと期待しています。
2020年9月2日
伊藤小麟
公開日/2020年09月02日