No.31 同世代に巡り合った僥倖


脇道映画館 〜わたしのジブリ〜編集者/柏子見

ツイッターを見ていたらこんなのが有りました。

**宮さん(宮崎駿)bot**@miyasan_bot
個性っていうのはね、人と違うものが個性っていうなら、個性なんて誰でも持ってるんですよね。個性で仕事をしようという気はないですね。共有できるものをちゃんとマスターしなきゃ話にならない。

**宮さん(宮崎駿)bot**@miyasan_bot
個性っていうのはものすごく誤解されてると思うんですけど、共通して持てるものを、他人と共有できるものをどれだけ持っているかっていうのは、実は重要なのは分母なんですよね。共有できるものをいっぱい持てば、おのずとその上にその人間の個性が繁栄されてくるんで。

**森泉岳土**@moriizumii
むかし宮崎駿監督が、若者の描いた絵を寸評するという番組があった。そのなかにたしかお母さんが膝のうえに座った子供にかき氷を食べさせる絵があった。僕はただ感心して「うまいなあ」と思ったんだけど宮崎監督は「こういうときお母さんもあーんと口を開けているものなんです」と指摘していて(1/2)

**Bellucci**@bellucci_0
「線一本だけで砂漠の奥行きを表現している」と押井守が絶賛した『未来少年コナン』のワンカット。 後に押井監督にこのカットについて聞かれた宮崎監督は「よくぞ聞いてくれた! この線一本引くのにどれだけの時間を費やしたか」と嬉々として語ったとのこと
https://twitter.com/bellucci_0/status/1375064626367328257

小学生の頃、授業中に教科書の端っこにパラパラまんがを描いて遊んでいた。

宮崎駿さんのドキュメンタリー番組の中でジブリスタジオでの様子を紹介していた。何度も何度もダメを出して描き直しながら仕上げていく気が遠くなる作業にため息。でもこの作業を通じて監督も表現したかったことが次第にはっきりしてき、アニメータも隠れていた技術や才能が露わになってきて、この一瞬と言うべき動きが生まれるのがすごい。
個性はどんな人にもいやでもあるものと思うし、それは他人に取ってばかりでなく自分にも無用で時には随分と迷惑なものでさえある。そうした個性が反映するような他人と共有できるものを培うってつくづく難しいと思う。特にシンパシーとかエンパシーと言ったものは、時代の気分と言うようなものを共有する刻を持たないとほとんど難しい。
1941年生まれの宮崎駿さんの作品や会話の、さりげない観察力や蘊蓄と諧謔に充ちた表現をわずかにでも愉しめたのは、偶々同世代に巡り合った僥倖に過ぎない気がする。

2021年4月8日
安藤 三郎

公開日/2021年04月08日



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