No.2 センス・オブ・ワンダー
脇道未来予想図編集者/
No.1で柏子見さんが取り上げた『三体』、この物語の中で女性科学者葉文潔が読み耽っていた本はレイチェル・カーソンの『沈黙の春』(1962年)ですが、レイチェル・カーソンには、他にも『センス・オブ・ワンダー』(1965年)というエッセイ本があります。
「センス・オブ・ワンダー(sence of wonder)」とは、美しいものや未知なものに触れた時の「わぁ」という、驚きの心のこと。
この本では、森の中を歩くことで子どもの感性がひらかれていく様子が、やさしい文体で綴られています。
先日、私も田舎に住む友人と、友人の子どもと山歩きをしました。
森を歩いていると、草の葉っぱが一枚だけ揺れていたりしますよね。
あれは渦励振(うずれいしん)と言う現象らしいです。
友人の子どもは「葉っぱが手をふっているね」なんて無垢な発言、次の瞬間にはもう別の何かに夢中になっている。
彼女は服が汚れようがお構いなし、枯葉の塊りへ躊躇なく突っ込んで行きます。
さらには
「ヨモギを摘んでおにぎりの具にしよう」とか
「これはスイバ。シュウ酸があるからたくさん食べちゃいけないよ」
という博識っぷり。
日頃から自然に触れている子どものエネルギーってすごい。
私もつい取り出してしまうスマホを引っ込めます。
このセンス・オブ・ワンダーは、デザインにも通じます。
かつて私の恩師は、
「明確な意図を持ってグリッドや構図、色、フォントを選ぶことはもちろん大切だけど、
“なんか説明できないけど、なんかいい”、この部分を大切にしなさいよ」と言いました。
この感覚の部分を大切にするからこそ、神は細部に宿る。
「このデザイン、なんかいい」は、センス・オブ・ワンダーの延長線上にあるのかもしれません。
昨今AIで何でも簡単にできてしまう時代ではありますが、
正直なところ、技術革新への感動はあっても、そのものへの感動はまだまだ少ないように感じます。
しかし、人がほんとうに見たいものは、言葉にならない純粋無垢な「わぁ」なのでしょうね。
音楽で言うとフィーリングやバイブス、漫才で言うと「かかってる状態」と言われるものの秘密。
テクノロジー時代だからこそ、美しいものを美しいと思うプリミティブな目や、枯葉に足を突っ込んで行くような好奇心を持ち続けなければなりません。
さて、100年先のオフィスはどうなっているでしょうか? 100年後のデバイスは?
それぞれのセンス・オブ・ワンダーを養えるような、本物の土や緑、自然に触れられる環境で、世の中すべての人が仕事ができたなら。そんな都市計画が実現していたらいいのにな、と思います。
また、SF作家のウィリアム・ギブソンが「インターフェイスは進化すればするほど透明になる」と言ったという話もあり、その辺を踏まえましてのAI画像生成。
透明なモニターの生成にちょっとだけ苦心しました。
2024年6月26日
松本 るみこ
公開日/2024年06月26日